創意と技術を伝統にした、はんこの里
六郷のシンボル
~はんこのオブジェ~
JR身延線 甲斐岩間駅前
六郷町(現・山梨県西八代郡市川三郷町)の印章業の歴史は1887年(明治20年)に、水晶を材料とした印章を取引した記録が残っており、これが最も古いものとされています。
もともと六郷町には江戸時代から行商人が定期的に集まり、行商の拠点としての伝統があったことと、1869年(明治2年)に国内の水晶原石の採掘が自由になったことで、山梨県は水晶の一大産地となり、販売の手段やネットワークと材料がそろった結果、水晶印の行商という独特の産業が発展しました。
この町で水晶印の生産が本格化したのは大正初年から昭和10年ごろで、昭和初期には印面のカタログを作成し、当時の満州国にまで通信販売網を広げていきました。現在は石や木、牛角、象牙などよりはもとより、ゴムや金属などというふうに材料も多岐にわたっていますが、六郷町の印章生産の出発点となりました。水晶という材料は、山梨県では江戸時代から採掘と研磨がはじまったとされています。
水晶という天然の恵みとそれを加工する技術の伝統、そして江戸時代に開発された行商のネットワークという歴史の重なりを巧みに生かした結果として、日本のはんこ社会をささえ、実に山梨県における生産量の70%、全国生産の50%を占め、日本一のはんこの里となりました。
長い経験と確かな手彫りの技術で、六郷の印章は高い評価を得ています。
天皇皇后両陛下 行幸啓記念碑
平成8年4月24日に六郷町の印章の視察のために行幸啓され、伝統の印章技術の実演等をご覧になりました。
日本一の巨大はんこ
「不動如山」 動かざること山のごとし武田信玄公の軍旗にも掲げられた一文です。
印章の塔
毎年10月1日、日本一のはんこの里の六郷地区において、印章供養祭が行われます。
生涯を全うした印章に感謝の意を込めて、供養する事を目的としています。